社長BLOG

起業序盤のしのぎ方

ここのところ立て続けに、どうやって起業したか?
起業して最初、どうやって事業を作ったり、収入を得ていたのか?
ということを聞かれました。

起業、副業ブームが来ているのでしょうか。
大きな資本を集めた事業化についてはわからないのですが、
自己資本のみの小さなゼロイチの会社づくりは経験しています。

自分は「行くぜIPO!」のようないわゆる起業家スタイルではないのですが、起業当時(大学在学中 22歳のとき)どうしのいだか?について、

僭越ながら、共有しておきます。

1.普通が160hだとすると320h働く

たくさん働くのは当然です。スキルは全然なく、若かったということで2倍の時間働きました。
これが40歳からの起業ということでしたら、スキル、人脈があるということで、すこし減らしてもいいかもしれません。
しかし起業した以上、普通の人よりたくさんの時間働くのは基本です。
普通にやってると320h/月働くのはしんどく感じますが、連休、夏休み、正月等は結構時間数が稼げます。
特にそういうときに、正規の社員に頼めないような、いい仕事?が我々に回ってきます。

2.労働時間の半分、160hを内容問わず売り渡す

自分の労働時間の内の半分は、収入を得るためと割り切って売り渡しました。
自分の事業とのシナジーは考えず、高値で買ってくれる会社に提供します。
ここは、とにかく安定収入優先です。
生活を安定させること、事業に投資できる原資を得ることを目指します。
稼いでないと、落ち込んだり、周りや家族の目が気になったりします。

割り切って仕事を取ってましたが、ほとんどの仕事は自分のコア事業とシンクロするものであり、
(シンクロするようなものでないとそもそも呼んでもらえない)
金だけで全くシナジーのない仕事、と言うのはなかったと思います。
当初は関連が薄くても、あとになって仕事の成果が役立ったということも多いです。

3.売り渡した時間だけで、自分とスタッフもう一人分の収入を稼ぐ

売り渡した160hで2倍の収入を得ることを目指しました。
自分の収入と、もう一人分の稼ぎを生み出します。
2倍稼ぐという、ここがポイントかもしれません。

4.スタッフを雇い、訓練して徐々に仕事を任せる

スタッフの採用にはお金がかかります。採用自体は人間力で何とかするにしても、
スタッフを訓練している間は売上がほとんど上がりませんので、その間も我慢して雇い続けるお金が必要です。
自分の右腕を作らないと、自分が抜け出せずずっと同じ仕事をやり続けなければなりません。
そのために、売り渡した時間で、2倍の収入を目指す必要があるのです。

5.160hで自分の事業を組立てる

普通の人の2倍働くので、まだまるまる一人分の活動時間があります。この時間を使って
自分の事業を組み立てます。自分の場合は、。テーマにしていたコミュニケーションソフトウエアを実験、開発していました。
自分の事業組み立ての時期は主に2回ありました。

しのぎかたの実際

最初は起業直後。看板が何も無いので、とにかくもらえる仕事をやる。まあ関連性も何もないえらい仕事を苦労して引き受けました。
カラオケ携帯アプリ、トヨタのキャンペーンサイト、介護施設の日報システム、協会の会員管理、本の執筆などに自分の時間を売り渡しています。
まだ学生時代だったこの頃が一番苦しく、朝起きたら吐きそうでえづく、耳が痛い、目が痙攣するなどの身体危険シグナルは、この頃に一通りわかるようになりました。

コミュニケーションソフトは、研究レベルでお金にはなっていなかったのですが、ここで3万人程度のユーザーを得ることができ、後のOpenPNEにつながる重要な母体になりました。本の執筆もいきなりで苦しかったのですが(自分は読書感想文遅延の常連でした)、出してみたらこれが見事に会社の看板になり、それから会社を信用してもらい、仕事をいただけるようになりました。

この時期は、自分と共同創業者との二人で、二倍働き、二倍稼ぐということをやっていました。それでも全然売上が足りず、初年度は給与を少なくすることで、(二倍稼ぐ)の部分の帳尻を合わせていました。初年度は、フルタイムアルバイトしてたほうが稼げたんじゃないか?と言うような年収でした。まあ、そういうもんだと思います。収入は2年目に取り返しました。

売上の中から資金を用意し、先輩の院生に手伝ってもらったりしながら業務をこなしていました。その先輩は稼いだお金でカナダに留学していきました。ちょっと羨ましかったです。

2回目の事業組み立ては、3年目OpenPNEを作ったときです。社員は3人になっていて、この時社員3人全員ほぼ会社ごと、スタートアップのベンチャーの技術部門として、労働時間の半分を売り渡しました。月の売上は安定し、自分たちの社員の収入、アルバイトの収入がまかなえました。この期間にOpenPNEを開発しました。当時のアルバイトには「お前は外の仕事しなくていいから、ソフトを作ってくれ」となるべくソフト開発に専念してもらいました。結局手伝ったスタートアップは事業がうまく行かなかったようで、これがフェードアウトするギリギリのタイミングで、OpenPNEが注目を集め、売上が伸びて会社の本当の看板となりました。

起業生活を送る中、生活は普通にできていて、休みもカレンダー通りぐらいは取れていました。
潤沢ではないですが事業立ち上げの資金も確保でき、スモールサイズの起業のモデルとしては、一理あるやり方ではないかと思います。

立派な起業家、事業家のやり方では無いと思いますが、こういうやり方もあるんだ、ぐらいに読んでいただければ嬉しいです。

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